為替館

相場は不思議な時系列空間。ポイント・アンド・フィギュアで時を斬る。必勝法則は、”勝ち易き相場のみ仕掛ける”。

為替館 header image 4

Entries Tagged as '韓国ソウル'

韓国ドラマにはまってはや数年

5 月 10th, 2008 · No Comments

「ありがとうございます」は、シンプルだけど涙を誘わずにはいられない名ドラマです。
愛について、人生について、生きるとは何かと多面的な側面で島の人生を描いています。
何十年ぶりでしょうか。
家族でドラマが始まる時間が待ち遠しいなんて。
それだけ面白いです。
あしたは、「私の名前はキムサムスン」、「外科医ポンダルヒ」「ホ・ジュン」などがあります。
すばらしき韓国ドラマ。
スポーツチャンネルと、韓国ドラマに時間のすべてをとられて取引どこでありません。
長い人生、ま~いいではないか。
相場がなくなるわけではありませんので。
気長にお付き合いしましょう。

LaLa TV

[Read more →]

Tags: 韓国ソウル

韓国ドラマは国策

10 月 7th, 2007 · No Comments

韓国ドラマに入れ込んでいます。
ソウルにいったとき、テレビが80CHくらい映りびっくりしました。
各局のドラマ専用チャンネルがありました。
完全に国策です。
ソフト・ハードのインフラの準備をしたのでしょう。
どこの局が企んだのでしょうか。
でも大成功だと思います。
「ヨン様ブームの経済効果は韓日で3兆ウォン」なんてちょいと古いですが、
相当な経済的効果です。
韓国は芸術的な業種業態があっているのでは?
繊細で大胆で分かりやすく、聴視者の心理を掴んでいる。
それに比べ日本のドラマは一切見る気にならないですね。
なんででしょう。
そんなことを考えている今日この頃です。

[Read more →]

Tags: 韓国ソウル

韓国は物価だか

8 月 30th, 2007 · No Comments

現在の管理人のポジション
なし
相場は様子見です。
上下どっちに抜けるかかわりません。
韓国は毎年3~4%の物価上昇だそうです。
日本はデフレでむしろ物価も賃金も下がっていますね。
大卒の初任給は同等か韓国の方が高いかもしれません。
小生の率直な韓国の感想は、”日韓逆転現象”です。
韓国経済は絶好調です。
街も賑やかです。若者も元気です。
驚いたことにセブンのコンビのお姉さんまで日本語ぺらぺらです。
みやげ物売り場のおばちゃんは、日本語、英語、中国もぺらぺらです。
なにも話せない小生は劣等感です。
車がでかい。規格が大きいです。
1500cc~2000ccが中型車。車幅が183cm。
日本は5ナンバーが車幅170cm以下です。
だから、ほとんどマークXに見えます。
クラウンレベルの車ばかりです。
軽自動車やカローラレベルの車はありますが少ないです。
高速道路は片側4車線がザラです。
日本の中央高速大月以西2車線なんかさびしいですね。
朝の渋滞は凄い。
車、車、車。
日本はこの10年間何をしていたのでしょうか。
失われた15年です。
別にウォン高ではないのです。
韓国のインフレが止まらないのです。
金利も高い。
それでも経済に失速が見当たらない。
ホテルは大体70chのテレビが見れます。
ソウル全域で無料で見れるそうです。
ただしNHKに相当するKBSの料金だけは払うそうです。
NHKも普通に映っています。
KBS、KBSスポーツチャンネル。
KBSドラマチャンネル。
と細分化されています。
韓国ドラマも政策の一つかもしれません。
米国CNBCも無料だそうです。オリジナルの株専用チャンネルもあります。
ただただ凄い。
イ・スンヨプは焼肉屋で酒飲み親父たちがでかい画面で、ジャイアンツ戦のライブ見ていました。
大スターです。
インターネットはいたるところにあります。
カフェ、C級ホテルの1Fさえ。
細かいことをいえばいっぱい粗探しはできますが、
景気にのってる感じのソウルでした。
日本は成熟国家になったと思います。
成長はないけど、福祉・医療など細かいところまでルール化されてるのでしょう。
年をとった人間には日本の方が住みやすいでしょう。
バリバリ働きたいならソウルの方が稼ぎやすいのかもしれませんよ。
でも、規制で守られてる社会かな。
ロッテデパートは新宿伊勢丹の何倍もあるが、魅力的な商品はないように感じました。
だから、セレブは日本に買いに来るのかな。
量販店がない。
ヨドバシカメラみたいなものはない。零細露天商、小商人を守っているのでしょう。
ドトールもない。
マックは高い。
セブンは10畳くらいで狭い小さい。
最大野党ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)大統領選候補は期待できるかもしれません。
大阪生まれで、敗戦後韓国に帰り極貧のなか高麗大学を卒業後、現代建設に入社し、
36歳で社長。(韓国では「サラリーマン神話」を創造した李明博氏と呼ばれているようです。)

その後ソウル市長。
清渓川(チョン・ゲ・チョン)は1958年来コンクリートで覆われた、どぶ川でした。
その上を高架道路が走り露天商が6万軒、軒を連ねていました。
川を昔のように戻そうと市民が賛成しました。
難題を李は、解決しました。
一年で露天商を説得し2年後に川を見事に再生させました。

建設後
これは感動しました。
本当に実にこの川には感動しました。
東京の神田川を元に戻せるだろうか。
戻す必要があるという人が何人いるだろうか。
川でくつろいでいるソウルっ子をみると、凄い戦いだったのでしょ。
大都会の中に小川を戻す。
李氏は、移動せざるを得ない露天商からも賞賛の声が上がったそうです。
要は李氏の人間性に興味があります。難問を問題もなく解決する手腕。多分親日派?
その李氏が野党ハンナラ党の大統領候補になりました。
与党は金正日(キム・ジョンイル)に大金を払って、サプライズを準備している噂です。
与党支持派30%以下だそうです。
巻き返しのため金大中は金正日に600億円を払って北朝鮮との交渉で支持率を巻き返した例があります。
大変、興味がある韓国政治です。
長いのでこのへんで。
与党は

[Read more →]

Tags: 韓国ソウル

利上げ見送りも材料視されず

8 月 24th, 2007 · No Comments

現在の管理人のポジション
なし
利上げ見送りで、若干ロンドン市場で円安になりましたが、
その後続かず。
逆指値を設定しておきました。
全部ヒットしてしまいました。
ノーポジションです。
日曜日から、ソウルに遊びに行ってきます。
ポジションを抱えていたら、落ち着かないので、
片付けて安心していけます。
株はヤフーが上がってきました。
ちょっとは期待できるかな?
韓国の渋谷みたいなところは 明洞(ミョンドン)

です。
もちろん小生は、ハングル語も全く話せません。
なんとかなるでしょう。
지하철(チハチョル)地下鉄、
출구(チュルグ)  出口
これだけは覚えてゆきます。
昨日、僅かながら新宿の両替商・大黒屋でウォンに両替しました。10万ウォンは13,910円でした。
ものすごいスプレッドです。
戻すときはめちゃ減ります。
物価はどんなもんでしょう。
円高でラッキーかなと思ったらぜんぜん効果ありませんでしたね。
あちこち見学してきます。賑やかな街を。
とにかく元気で帰ってこなくちゃ。

◆ネットで24時間簡単予約!◆格安海外旅行なら阪急交通社へお任せ!

[Read more →]

Tags: 韓国ソウル

韓流の原点は家康?

6 月 12th, 2007 · No Comments

韓国のウォンに興味を持ったら、少し歴史も知りたくなった(ほとんど関係ないけど)。
スカパのKBSワールドの影響である。
慶長の役で捕虜になった姜沆が日本に朱子学を教えた。
家康は、国の安定化には朝鮮の政治仕組み、思想が必要と知識(朱子学等)の輸入をした。
小生は、結論ありきの議論は嫌いだ。日本がいいだの韓国がいいだの。
2CH的議論は苦手です。
ただ、家康の判断は的確だ。国がやっと安定するのに新知識に貪欲だったことだ。
夏には観光でソウルに行くつもりだ。
春のクアラルン・プールもよかった。イスラムに興味があった。
イスラム寺院は興味深かった。
歴史は面白。スカパ様様である。

この本をちょいと読みました。儒教、朱子学的思想でとても日本人的で分かりやすく、よい本だと思います。
その源流に姜沆にあるのかなと思い、これを書きたいと思った次第である。
小生、スカパで韓国チャンネルばかり見ています。ドラマも分かりやすく面白いです。
韓流といわれますが、歴史をみれば昔からあったのかと自分の無知さに驚かされます。
——————————————————-
姜沆 韓国の儒学者(1567~1618)
 豊臣秀吉の朝鮮侵略のおり、藤堂高虎の軍に捕らえられた。
京都の伏見に幽閉され、その間の生活を記録に書き記し、
三年後帰国した姜沆は「看羊録」と名付けた記録を刊行した。
 伏見に移されてからの姜沆は、藤原惺窩(ふじわらせいか)、赤松広通(あかまつひろみち)などと交流し、
儒教を教えるとともに、日本の文化に付いても勉強を始めた。姜沆の学識の偉大さを知った藤原惺窩は、
赤松広通の助けを得ながら、「四書五経」【四書=大学・中庸・論語・孟子、五経=易経・詩経・書経・春秋・礼記(らいき)】の和訳を始め、慶長4年(1599)2月15日に遂に完成をみる。このとき惺窩は感動にふるえながら「日本、宗儒の義を唱ふる者、この書をもって原本とせよ」と書いた。
 慶長5年(1600)4月2日先述した姜沆理解者たちの援助もあり、彼は公に伏見を去り、故国目指して旅立った。
      姜沆は祖国に帰り、レポートを李氏朝鮮に提出したが、相手にされず姜沆は隠居した。
      この研究のなさが挑戦崩壊の根本だといったとかいわないとか。
江戸時代には、朝鮮国王、徳川将軍の代がかわるたびに、相互に使節の交換がなされるようになった。
「通信使」とよばれた朝鮮の使節は、二百日以上にも及ぶ長期の日程で江戸まで往復した。通信使一行を迎えた日本人の熱狂ぶりを知ることができる。朱子学の先進地として、朝鮮の評価はきわめて高かったのである。家康は安定した国内支配をするための精神的な支えとして、朱子学に強い関心を示し、日本朱子学の開祖である藤原惺窩(ふじわらせいか)を招いて講義を受けたりした。家康の知恵袋となった林羅山はこの惺窩の弟子であり、その子孫は代々徳川家に仕え、日本朱子学の大御所として君臨した。日本朱子学は成立当初から朝鮮との関わりが深く、とりわけ十六世紀の大儒李退渓(イ・テゲ)の強い影響を受けていた。徳川幕府にとって、朝鮮は一つの理想を示す国であり、通信使をあれほど歓迎した理由もここにあった。

[Read more →]

Tags: 韓国ソウル