株50円ショップ

相場師 福沢桃介


 福沢桃介の旧姓は岩崎桃介。福沢諭吉の次女・ふさの入り婿となって福沢姓を名乗る。諭吉の援助でアメリカに留学。1889年(明治22年)に帰国して北海道炭礦鉄道に入社、サラリーマン生活を送ることになった。
 ところが6年後に血を吐き結核治療のため辞職。
偉大な義父・福沢諭吉を見返すために必死で働いた結果が死の病、結核であった。養子の身分で面倒をみてくれとは意地でも言えぬ。
留学経験から思いついたのが株で、北炭の社員で株に詳しい者からイロハを学び才能が開花した。千円の証拠金で始めて1年で儲けが10万円。それからの桃介を「相場師になってしまった」と諭吉は嘆いたという。
 桃介は独立した経済人への道を必死で模索した。病床から相場に仕掛け、百発百中の株で財を貯え、事業に乗り出したのだ。

 日露戦争後の株式ブームは多くの成り金とまた破産者の山を築いた。
 その中で桃介はさっさと手仕舞い、250万円を手にした。
天才と呼ばざるを得ない。
 1897年11月、福沢諭吉は、一族を引き連れ、関西や広島厳島へ約10日間、旅行した。
娘婿の桃介は「相場をやっていますから行けません」と言えない。義父には、相場に手を出していることは、秘密だった。旅の途中で手仕舞いを出せないでいた。
しかし、10日後、旅から帰ると、10万円の資産は半分の5万円に減っていた。
 福沢の養子コンプレックスが招いた災難ともいえる。

 桃介の手法は目先の相場変動には目もくれず長期で構えて相場と対峙すると言い切るが、実践では敏捷に立ち回ったらしい。
「殊に桃介が霊感または第六感、稲妻の如き閃きに乗じ、強気から弱気にベアからブルに、一瞬一刻を争う駆け引きに自由自在に進退する呼吸は、殆ど神に近いとさえ言われた」とある。

その後、段々虚業が嫌になり、「富者に対する反抗心が強く、金持ちになって金持ちを倒してやろうと実業界に発心した」という。
 所詮、相場師桃介、企業ビジョンに欠け様々な事業に手を出し、ようやく終生の事業は電気だと見定める。ただし福博電気軌道の社長就任は親友・安左ェ門の口説きだった。ソロバンの桃介が「松永のために損をしようと決心した」と言われる。

 桃介は、川上貞奴との公然たる愛人関係が有名だ。
 兜町の連中が「焼け跡のクギ拾い」に精を出していること、桃介は愛人貞奴と旅行にでるほどの余裕がる。
 2人は、大正7年12月(桃介50歳、貞奴47歳)から同棲した。2人が住んだ邸宅は「二葉御殿」と呼ばれ、政財界など各方面の著名人が集うサロンとなった。
川上貞奴といえば日本初の女優であり、海外では「マダム貞奴」と呼ばれ彫刻家ロダンが彼女を口説き落とそうとしたが、断られたという逸話もある。
 川上貞奴は不動尊の信仰あつく、犬山城の対岸に自力で金剛山貞照寺を建立した。
 これに感じたか桃介も、禅僧、朝比奈宗源に師事しようとした。初対面で「一回、いくらで聞かせてくれますか」。
「そんな俗物に、金なんかもらっても話はしない」と怒らせた。
平謝りで週一回来てもらうが、説法が佳境に入ると家人を呼びつけ、株屋に電話を命じる始末だ。
何度かやって、ついに「度し難い」と見放されたという。桃介に仏法は無縁であった。

 幼少時の貧乏生活、遮られた愛は政略的な婿養子を選択せざるを得なかった。
 愛を実現させるには金が必要だ、米国に学ぶ必要がある。
 いち早くロックフェラーを研究し、物ではロックフェラーは株で大儲けしたことを実践した。

 偉大な福沢諭吉を見返さなければならなかった。
 18才で恋仲に落ちた2人は慶応の書生と芸者では叶わぬ恋と知り、それぞれの道を誓う。桃介が留学に向かう出発直前に、貞奴は桃介に会いに行き、『歩む人生は別々でも、あなたはあなた、私は私の道で必ずや成功しましょう。』と、涙も見せず気丈に語ったという。
 その約束を互いに果たした格好で両者は再会し、貞奴の夫の死後、貞奴と桃介は大正時代後期の5、6年を仲睦まじく過す。
 やっと愛を実現したのである。
 しかし、桃介は、60歳から病気がちになって実業界を引退、次第に貞奴との関係は希薄なり、妻のいる東京・渋谷の本宅に戻り1938(昭和13年)年2月15日、本宅で永眠する。

 愛のために金を稼ぎ、愛を実現させたら、愛を自由にさせるために元の愛に帰る。
 そんな生き方にみえる。

 一人の拝金主義亡者は、愛する人のために命がけで投機に没頭し叶わぬ愛を紛らわしていたのかもしれない。


1868年
埼玉県比企郡、岩崎紀一、サダの次男に生まれる
1883年
慶応義塾に入る
1887年
福沢家に入籍、米国留学
1889年
帰朝、福沢諭吉二女、房と結婚、北海道炭礦鉄道に入社
1901年
北海道炭礦鉄道再入社
1906年
北炭退社、株成金に
1909年
福博電気軌道社長
1912年
千葉県選出代議士
1932年 隠居
1938年2月15日、永眠。享年69

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