| 1868年(明治元年)6月25日(慶應4年5月6日) |
| 福沢桃介、埼玉県の農家岩崎家の次男として生まれる |
| 1869年(明治2年) |
| 渋沢栄一が日本初の株式会社、商法会所を創立。 |
| 1874年(明治6年) |
| 福沢諭吉が複式簿記の米国商業学校用簿記教科書を翻訳した 「帳合之法」」(ちょうあいのほう) を出版。 |
| 1878年(明治11年) |
| 大阪株式取引所が創立。 |
| 1883年(明治16年) |
| 福沢桃介、慶応義塾に入学 |
| 1887年(明治20年) |
| 福沢桃介、福沢家の養子となる |
| 1894年(明治27年) |
| 福沢桃介(26歳)、日清戦争勃発による激務で吐血。肺結核で療養生活に入る。蓄えを元手にベットの上で株式投資を始める。 |
| 日清戦争1894年(明治27年)8月〜1895年(明治28年)3月 |
| 1895年(明治28年) |
| 福沢桃介(27歳)、戦勝相場で巨額の財をなす。 |
| 1897年(明治30年) |
| 福沢桃介、株嫌いの諭吉に気遣ううちに以前の儲けが半減。 |
| 日露戦争1904年(明治37年)2月〜1905年(明治38年)9月 |
| 1905年(明治38年) |
| 福沢桃介(37歳)、株式の暴騰が続きの中、早めに全株を売り切り、実業家への転進を図る。 |
| 1907年 (明治40年) |
大阪株式取引所株、年初の774円から年末には92円も暴落。
福沢桃介、相場から手をひく。福博電気軌道の社長に就任。日清紡績設立。 |
| 1918年(大正7年) |
| 第1次世界大戦は終結。土地投機・株式投機が発生し、物価は高騰。 |
| 1920年(大正9年) |
| 第1次世界大戦の終結による戦後恐慌で株が大暴落 |
| 1938年(昭和13年) |
| 福沢桃介、70歳で没 |
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投資理由
福沢桃介の旧姓は岩崎桃介。福沢諭吉の次女・ふさの入り婿となって福沢姓を名乗る。諭吉の援助でアメリカに留学。1889年(明治22年)に帰国して北海道炭礦鉄道に入社、サラリーマン生活を送ることになった。
ところが6年後に血を吐き結核治療のため辞職。
偉大な義父・福沢諭吉を見返すために必死で働いた結果が死の病、結核であった。
養子の身分で面倒をみてくれとは意地でも言えぬ。
留学経験から思いついたのが株で、北炭の社員で株に詳しい者からイロハを学び才能が開花した。千円の証拠金で始めて1年で儲けが10万円。それからの桃介を「相場師になってしまった」と諭吉は嘆いたという。
桃介は独立した経済人への道を必死で模索した。病床から相場に仕掛け、百発百中の株で財を貯え、事業に乗り出したのだ。
投資実績
明治28年、福沢桃介は日清戦争で低迷していた相場が遼東半島の中国返還で終わりをみて、公定歩合が3厘さげられ「戦勝相場」によって上昇気流に入ったとみるや、当時のお金で、貯金額3000円(3000万円)のうち、1000円(1000万円)を投資資金にあて、1000円=今の1000万円くらいをつぎ込み、信用買いを行い、株式初挑戦にて、1年で10万円(今の10億円)に資産を増やした。
これは100倍で初挑戦としては脅威の結果をのこした。
桃介の手法は目先の相場変動には目もくれず長期で構えて相場と対峙すると言い切るが、実践では敏捷に立ち回ったらしい。
「殊に桃介が霊感または第六感、稲妻の如き閃きに乗じ、強気から弱気にベアからブルに、一瞬一刻を争う駆け引きに自由自在に進退する呼吸は、殆ど神に近いとさえ言われた」とある。
明治30年11月、福沢諭吉は、一族を引き連れ、関西や広島厳島へ約10日間、旅行した。
娘婿の桃介は「相場をやっていますから行けません」と言えない。
義父には、相場に手を出していることは、秘密だった。旅の途中で手仕舞いを出せないでいた。
しかし、10日後、旅から帰ると、10万円の資産は半分の5万円に減っていた。
福沢の養子コンプレックスが招いた災難ともいえる。
福澤諭吉も投資好きだったという裏記録もある。投資成績はさっぱりだったという。それ故に桃介に株式投資を戒めたともいわれる。
日露戦争(明治37年)後の戦勝相場でも参戦し、買いから仕込み、
天井と見るやドデンと売りに転じる往復ビンタを敢行し手仕舞い、250万円(現在の250億円くらい)を手にした。
その後、段々虚業が嫌になり、「富者に対する反抗心が強く、金持ちになって金持ちを倒してやろうと実業界に発心した」という。
所詮、相場師桃介、企業ビジョンに欠け様々な事業に手を出し、ようやく終生の事業は電気だと見定める。
ただし福博電気軌道の社長就任は親友・松永安左ェ門の口説きだった。
ソロバンの桃介が「松永のために損をしようと決心した」と言われる。
大正7年、欧州大戦時の得意の戦争相場でも一切株取引しなかった。
実はもうこのときは株式投資をする必要もなかったようだ。
発起人になるだけで儲かったと述べている。
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金持ちになるために株取引は必要不可欠
福沢桃介の戦略には、常に時代の最先端の知識・情報を活用することだ。
慶応在学中、導入されてまもない簿記の知識を有していたと思われる。
わが国に株式会社が創立され間もないころに、銘柄は決算が重要だと述べている。
福沢家の婿養子に入る見返りにアメリカ留学を行っている。
このころからアメリカの大富豪の富の築き方を研究して、株で成功しようと思っていたのだろう。
桃介の言葉である。
「ロックフェラーは、人は石油でもうけたというけれども、じつに彼の財産は石油株が騰貴したためにできたのである。
すなわち株で勝ったのである。グルードもそのとおりである。
その他現在アメリカの富豪といわれているもので、株でもうけたのでないものは一人もないといってよろしいくらいで、商売でもうけたものはいたって少数である。」
現在のトヨタ自動車でさえ、本業の儲けも素晴らしいが、株式という仕組みがあるからこそ何十倍、何百倍、何千倍にも企業価値が高まっているのでしょう。
桃介は個人であろうと、企業であろうと株が富を築く原理を見抜いていたようだ。
そして、金持ちになるためには、株式取引が必要であると述べている。
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銘柄(決算)とタイミング(景気)がすべて
株は富を生むことを発見した桃介は、病床の中で本格的な実践のための研究をした。
もと兜町の株屋が部下いたので、この男に相場のやり方、秘訣を喋らせた。
さらに社内の株式係に同じことをたずねたりして勉強した。
参考書も取寄せ、過去の相場の高低を示す罫線表もつくり丹念に検討した。
株価の高低、会社の内容、重役の人柄、日々発生する内外時事の影響、市場人気の消長とその表裏に関する機微の動きなど、あらゆる情報を入手して真剣に検討し、結論が出ると果敢に勝負した。
あの有名なグレアムも驚いてしまうほど、明治時代中期に、
株を行うには金融金利を標準に行いなさいと最新の知識で投資を行っている。
「諸君が金持ちにならんとして、株の売買をせぬのはウソだ。
しかし株式の売買について、ここにひとつ諸君に注意しておかなければならぬものがある。余人はともあれ、諸君が株の売買をするには利子を標準とすることを希望する。
具体的に言えば、定期預金の利子はつねに五分より七分の間を往来している。
五分以下となり、七分以上となったことはまず近来においてない。市中の金融が大緩慢で貸付日日歩が1銭6厘以下に下落したときでも、預金の利子は五分であった。また金融が大逼迫で貸付日歩が3銭、4銭に上がったときでも、預金の利子は7分より上がらなかった。
この預金の利子を標準として売買することだ。」
配当利回りが、定期預金利子より上回れば、「買い」、
下回れば「売り」だという事である。
財務状態がよい銘柄を薦めている。
「この株は安全か否かということを考えなければならぬ。
郵船、鐘紡、炭鉱、東鉄というような、なるべく基礎の強固なものを選び、基礎の薄弱なものはやらぬがよい。
たとえ一時配当が多くとも、基礎の薄弱な会社は、会社全体がつぶれてしまえば大損になる。
比較的強固だと思っても、なお不安だと思ったら、金を銀行に預けて寝ておればよい。」
「金を使う程度」すなわち、投資金額についても述べている。
「これは諸君の各自によって定まる問題であるから、具体的にこれこれというわけには行かぬが、要するに、これに全力をあげてはいかぬ。
借金してかかるのはもちろんいかぬ」「日露戦争後において株式の売買に失敗し、事業で倒れたものの多くは銀行から金を借りた人である。」
投資のタイミングの重要性についても述べている。
「株価の変動には何らの法則もないように見えるが、実は不変の真理がある。
その真理とは景気の変動だ。景気と株価について検討すべきである。」
「少なくとも相場で儲けようというのであれば、3年に1回の割合で到来する波に注意する必要がある。
相場道に徹した真の投資家は、いわゆる大きな相場の波だけを注目している。
何年かに一度しかやってこない好機を狙っているのだ。
したがって相場師というものは大相場を見損なったらそれこそ問題である」
ことばを変えて述べています。
「相場というものは桃介如き微力でなかなか動くものではない。
天下の大勢が動かしている。我々はその波をうまく泳げばよいのである。
順波(上げ相場)には乗り逆波(下げ相場)には逃げる。
だから百戦百勝して傷つかないのである。」
「相場で勝つには間(ま)というものが大切である」と言っている。
売り買いに間をいれポジションを整理し、戦略を練り直しなさいということであろう。
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桃介の投資ノウハウ
損切りの重要性についても述べている。
「活殺自在ということが大切である。事情が変わったと思ったらグズグズしないで
損をしてもサッと相場から手を引くべきだ。
投げ売りを上手にやって、男らしく再起の日を待つべきだ。
男らしく進退を明らかにすること。
これこそ相場で勝つ最大のコツだ」
彼の言葉に「ミミズも雲を得れば龍になる」というのがある。
低位銘柄も景気しだいで大化することを述べていると思われる。
「腹八分目主義。買い思惑通りに相場が上昇しても深追いはせず、
天井圏に入ったと判断したら見切りよくすべての買い玉、手持ち株を売却する」
投資心理学も十二分に心得ていたのである。
弟分の松永安左ェ門との会話。
松永 「横浜電鉄、どうしたの?」
桃介 「無論、もうかった」
「どうして? 買い上げていったんでしょう」
「途中で売り逃げた。君はそうしなかったと手紙に書いていたね」
「だって、有望だってあなたがいったし。おかげで60万円、水の泡だ」
「バカだな。株はいつか下がるものだ。いつまでもにぎっておればいいなんてものじゃない」
松永の独り言。
「(せっかくいっしょに買いはじめたんだ、売るときになぜ声をかけてくれなかったのか)」
「(そんな他力本願でどうする。相場は自分の判断でやるものだ。判断力もないくせに、相場に手を出すのがまちがいだ!)」
桃介は後に述べている。
「人間の成功に、運、鈍、根という三つの資格が数えられる。
その中でも、事業経営に一番必要なものは根すなわち執着である。
その反対に、株式相場に執着はもっとも禁物だ。
いつでも見切りよく転換することを心がけて、
一度に全部をすくいとることをしてはいけない。
シナの五祖禅師が『福不可受尽』といったのはこのことで、
福をあまして八分に甘んじ、いさぎよく見切るところに転換の妙がある」 |
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桃介の資産運用論
「神武天皇即位の年から今日に至るまで2589年間、わずか1厘の年5朱の複利計算は、兆の兆倍のそのまた3134万8276兆倍と云う、ほとんど数え切れぬ金高になる。
100円の資本で、一時は1000円、2000円と儲けても、その次に1000円、2000円の損をすれば何もならぬ。
それよりも、5朱か6朱の薄利でも、必ず一定の利息の生むものに放資し、しばらくして利に利を積めば、苦労せずに自然に金持ちになれるのだ。
さらば、サラリーマンでも、小商人でも、倹約して暮らしてその余金をもって株なり、土地なりに放資、その利に利を積んで富を作る道を忘れてはならぬ。
だが、将来も株式や土地に放資して、これまで通りの利殖をあげ得るや否やは、大いに疑問だ。さりとて、公債社債も感心しない。
私はむしろ読者諸君に、今後いかにすれば有利に積利し得るかを聞きたい。」
株式だけでもダメ、不動産だけでもダメ、時流にあった最も有利な投資を選択しなさいと説いている。
『富をなす要素は利に利を積むにあり』 福沢桃介
愛に生きる桃介
桃介は、川上貞奴との公然たる愛人関係が有名だ。
兜町の連中が「焼け跡のクギ拾い(大相場で儲けそこなった人がその後の小相場で細かい勝負をすること。 揶揄する意味が込められている。)」に精を出していること、桃介は愛人貞奴と旅行にでるほどの余裕がる。
2人は、大正7年12月(桃介50歳、貞奴47歳)から同棲した。
2人が住んだ邸宅は「二葉御殿」と呼ばれ、政財界など各方面の著名人が集うサロンとなった。
川上貞奴といえば日本初の女優であり、海外では「マダム貞奴」と呼ばれ彫刻家ロダンが彼女を口説き落とそうとしたが、断られたという逸話もある。
川上貞奴は不動尊の信仰あつく、犬山城の対岸に自力で金剛山貞照寺を建立した。
これに感じたか桃介も、禅僧、朝比奈宗源に師事しようとした。
初対面で「一回、いくらで聞かせてくれますか」。
「そんな俗物に、金なんかもらっても話はしない」と怒らせた。
平謝りで週一回来てもらうが、説法が佳境に入ると家人を呼びつけ、
株屋に電話を命じる始末だ。
何度かやって、ついに「度し難い」と見放されたという。
桃介に仏法は無縁であった。
18才で恋仲に落ちた2人は慶応の書生と芸者では叶わぬ恋と知り、それぞれの道を誓う。
桃介が留学に向かう出発直前に、貞奴は桃介に会いに行き、『歩む人生は別々でも、あなたはあなた、私は私の道で必ずや成功しましょう。』と、涙も見せず気丈に語ったという。
その約束を互いに果たした格好で両者は再会し、貞奴の夫の死後、貞奴と桃介は大正時代後期の5、6年を仲睦まじく過す。
やっと愛を実現したのである。
しかし、桃介は、60歳から病気がちになって実業界を引退、次第に貞奴との関係は希薄なり、妻のいる東京・渋谷の本宅に戻り1938(昭和13年)年2月15日、本宅で永眠する。
愛のために金を稼ぎ、愛を実現させたら、愛を自由にさせるために元の愛に帰る。
そんな生き方にみえる。
一人の拝金主義亡者は、愛する人のために命がけで投機に没頭し叶わぬ愛を紛らわしていたのかもしれない。
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