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名学者は相場師 ケインズ
病床の相場師 福澤桃介


 

名学者は相場師 J.M.ケインズ
 当Webサイト管理人が大好きな"相場師"に、ジョン・メイナード・ケインズ

John Maynard Keynes
,(1883年6月5日 - 1946年4月21日イギリス生まれ)がいます。

ケインズ経済学の本家本元の大学者です。ちなみに身長198cmの大男だったのようです。

1931年9月、演説でケインズは恐慌(深刻な景気後退)に対する処方箋を

次のように述べています。

1.戦債と賠償の廃棄      (参考:欧州大戦1914〜1918年、世界恐慌1929年)

2.すべての債務国の債務を外国通貨建てで三年間支援する

3.公共投資に融資するための国際資金の大プール

4.すべての国が低金利政策をとる

5.すべての国が大公共投資を実行する

 マクロ経済学や公共投資といった概念を作り上げた天才です。

低金利政策、公共投資といった用語は、日本の政府でよく使うキーワードですね。


1941年 イングランド銀行理事。男爵。

ケンブリッジ大出の単なる天才かと思いきや何の何のヤンチャぶりに驚かされます。

彼の相場人生は外国為替の先物取引から始まりました。

ビギナーズラックだったのでしょう、儲かっているときに

母親に次のような手紙を書いています。

お金というものは 不思議なものです

ほんの少しの余分な知識と ある種の経験さえあれば

お金はいとも簡単に ころがりこんでくるのですから
 

米国の成長性を評価し、ドル買いマルク売りと予想を立て取引をしたところ、

予想は当たっていたものの

レバレッジを効かせ過ぎたのか

一時的な逆振れで追証責めにあい、

見事に大損をしてしまい破産寸前まで追い込まれました。

相場用語でいう”振るい落とし”に引っ掛かけられたのでしょう。

金融業者から5,000ポンドを借入し窮地を脱出しました。

 親は彼に厳しく叱りつけることはありませんでしたが

二度と同じ過ちはするな

と諭したということです。

だた彼は3週間後にはもう相場を再開しました。

彼は、

「親は二度と同じ失敗をするなと言ったんだ。

つまり、損を出さないようにやれ!という意味だ」

と言い退けました。

ケインズ伝によると

「彼は気質的に勇敢で自信に満ちた自己の推理のために

彼の持っているものを投じなければ気がすまないというのが彼の気性ででした。

そのうえ投機は自由のための彼の闘いであった」と言い放ちます。

ケインズは本質的に投機好きであり、

収入不足を補う手段として投機に没頭したともいわれます。

収入不足をネット収入・株収入で補おうとする現代サラリーマンと変わらなかったことに妙に親近感を覚えますね。

しかしながら、彼の儲けは我々とは桁外れで、

大学者は自ら投機相場で20億円以上もの金を稼ぎ出したといわれます。



 相場を「美人投票」を言い切ったのがケインズです。

世界的な大経済学者がいうから面白いものです。

結局、小難しい経済理論で扱えるほど相場はそう単純ではないぞ。

相場は人間の心理現象の表れ、そして経済とは欲望である

とバッサリ割り切っていることが凄いですね。

基本的人間の欲である「貨幣愛」で相場が動き、

相場こそ自由の象徴ととらえていたのでしょう。

古典的な名著「雇用、利子、貨幣の一般理論」の執筆中にも 、

相場は休まなかったようです。

投資心理家としてのケインズは、毎日専門紙(穀物取引、金属情報等)に目を通し、

株式仲買人と絶えず連絡を取っていたようです。

弟子の一人が後に回想しています。

 「仕事は午前中に必ず中断した。株の仲買人からかかってくる電話のためだった」

 一見”市場は美人コンテスト”と言い放ち物事を大掴みし、

片やデータを詳細に分析する大胆不敵かつ繊細緻密な投資スタイルです。

 ケインズは、商品(穀物、金など)、株、為替等取引で”投機家”であったばかりか

希こう本やセザンヌ等の古書・絵画の蒐集家でもありました。

驚くほど彼は実に多趣味であったことが分かります。

彼は演劇やバレーにも関心を持っていました。

ロシアのバレー団、「バレーリュッス」の公演に友人達とともに熱狂し、

特に1921年の公演でプリマを演じたバレリーナ、

リディア・ロポコヴァ
にすっかり入れ込んでしまいました。

ケインズはリディア・ロボコヴァのために、S席の入場券をまとめ買いする一方で

バレエ団の人たちを餐応しました。

 彼女には夫が既にあり、おまけに家庭も仕事も放り出して

ロシア軍将校と駆け落ちした過去もあるなど問題がありましたが、

ケインズは法律上の問題を慎重に片づけ、1925年8月にリディアと結婚しました。

時にケインズ42歳、リディアは34歳でした。

 簡単に言えば略奪愛です。

 ケインズは、金の亡者ではなく愛の亡者であったのかも知れませんね。

ケインズは、自分の人生をこよなく愛したという。

彼の実生活は陽気で、栄達なものであったようです。

名誉ある論文を書き続けるなか、彼は金融取引や銀行の理事、

劇場経営だとか、様々な事業にも取り組み、まさに八面六臂の活躍といってよいでしょう。

経済学者、ケインズであるだけでなく、人間らしさ、そして飽くなき自己への探究心を持ち続け、

勉強も相場も愛もすべて成就させ人生を精一杯生きた

男の生き様が
伝わってくる素敵な人だと思います。


 流石に、1929年の世界大恐慌時、株価大暴落の中、彼は大損しています。

長期投資の欠点である損切りし難さは、大学者でも例外なく、陥ったのでしょうか。

わずか100ポンドを元手に始めた株式投資は、

結局、死ぬ年の1946年(62歳)には41万ポンドに達していたようです。

 知的で明るくヤンチャ、投機好き、高パフォーマンスを残した世界的学者、

それでいて愛に生きる。

 まさに男の中の男であるといってよいでしょう。


【ジョン・メイナード・ケインズの格言と名言】


 
世の中の大多数の人は、常識どおりに動いて失敗するほうが、

                   常識に反して成功するよりましだと考えている




 信じるまま 信じることだけをするよ



 人生のただ一つの後悔はシャンパンをもっと飲まなかったことだ

 My only regret in life is that I did not drink more Champagne.

                                           
(死ぬ直前の言葉)


 軍需(公共投資)という無駄な目的で

 失業問題を解決できるならば

 私達は平和という

 建設的な目的でも解決できるはずである